観光名所の一つとなっている英国大使館別荘記念公園

 新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが5類に移行するなどして、日光には外国人観光客の姿が戻ってきた。この国際的な観光地・日光と外国人の関わりは明治期にさかのぼる。

 外国人の国内旅行が徐々に自由になったことで来訪が増え、1870年に英国駐日公使ハリー・パークスが日光東照宮などを参拝した。翌71年に医師で宣教師の米国人ヘボン博士が来訪。金谷ホテル創業者の金谷善一郎(かなやぜんいちろう)宅に泊まり、同ホテルの前身「金谷カテッジイン」の開業を後押しした。

 外国人の書物によって、日光は世界に知られるようになる。72年に訪れた英国外交官アーネスト・サトウは、ガイドブック「日光案内」を出版。78年に訪れた英国人女性旅行家イザベラ・バードは、著書「日本奥地紀行」で日光を紹介した。この他にも、さまざまな外国人が日光を訪れた。

 主に大正から昭和にかけ奥日光は「夏場の外務省」と呼ばれ、西洋的な雰囲気が漂った。別荘が建ち、避暑地として各国の外交官らが夏を過ごした。奥日光の歴史研究家小島喜美男(こじまきみお)さん(74)は「ヨットクラブやフライフィッシングなど、外国人は多くの文化をもたらした」と説明する。

 近年はコロナ禍で訪日外国人客は減少したが、外国人宿泊者数は2019年に過去最多の11万9253人を記録。サトウが中禅寺湖畔に建てた別荘は、英国大使館別荘記念公園として現在も観光客を魅了している。

 6月には本県初の政府主催の国際会議である先進7カ国(G7)男女共同参画・女性活躍担当相会合が奥日光で開かれ、今後、国際観光都市としてさらなる発展が期待される。