第100回東京箱根間往復大学駅伝第1日は2日、関東の23校が参加して行われ、東京・大手町をスタートした。往路は神奈川県箱根町までの5区間、107・5キロ。第100回開催を機に、過去に出走した栃木県出身ランナー6人が、憧れの舞台に立てた喜びや苦悩などを振り返る。
①箱根山上り「苦い経験が今でも生きている」 横手健(作新高ー明大ー富士通) 2年時、5区で19位

忘れられないのは2年生だった2年目の5区(23・4キロ)山上りです。山に強い同僚がいなかったので、上りが苦手ではない自分が消去法で選ばれた形。区間19位の大ブレーキで4位から7位に順位を落としました。前半に攻めた結果でしたが準備不足。坂道に対応できる走りの土台が作れていませんでした。>>記事はこちら
②高校時代“無名”から完全V貢献 鈴木賢一(宇農高ー順大) 2年時、初の2区「人生観変わった」

初めて箱根駅伝を走ったのは2年時の2区(22・7キロ)でした。陸上選手としての人生観が変わった経験です。2位でたすきをもらい、トップは大東大の絶対的エース只隈伸也(ただくましんや)さん。距離感をつかむため、前を走る運営管理車のジープを見ていたのですがだんだんと近づいてきて。>>記事はこちら
③目標の“大舞台”...任務やり切る 高見諒(佐野日大高ー東洋大) 2年連続Vアンカー

東洋大の初優勝と連覇という節目にアンカーを務めました。ありがたい経験をさせてもらいましたね。 初出場となった2年生の時の10区(23・1キロ)は、トップでたすきを受けて2位早大と1分26秒差。タイムをかせいでもらい落ち着いて走り出せました。>>記事はこちら
④シード獲得 二重の喜び 弘山勉(真岡高ー筑波大) 2年時、9区で2位

陸上は大好きでしたが箱根駅伝は大きな大会ぐらいの印象でした。筑波大に入学した一番の理由は、保健体育の先生になるためでしたから。1年生の時はメンバーに入ることもないだろうと。ところが故障者や体調不良者が続出し、出番が回ってきました。自信なんてありません。>>記事はこちら
⑤苦しんだ最後の「壁」 黒田政夫(那須高ー順大) 4年時、歴代最長の2区

あの苦しさは忘れられません。最後となった4年生の箱根駅伝。各校のエースが集まる2区は、今より2キロも長い25・2キロでした。長い歴史の中で、2区では最長だと思います。難所といえば15キロ過ぎの権太坂が有名ですが、本当にきつかったのはラスト3キロ。>>記事はこちら
⑥「天国」と「地獄」経験 宇賀地強(作新高ー駒大) 4年連続、花の2区

箱根駅伝を意識したのは中学3年のとき。作新学院高出身の佐藤慎悟(さとうしんご)さんが3区区間賞をとり、駒大が3連覇するのをテレビで見ました。すごい先輩がいたことを知り、自分も駒澤のユニホームを着て優勝するんだ、というところまで思い描きました。>>記事はこちら