女人禁制を伝える巫女石(左)

伊藤芳さんの写真(前列左から2人目)

小島喜美男さん

女人禁制を伝える巫女石(左)
伊藤芳さんの写真(前列左から2人目) 小島喜美男さん

 【日光】昨年6月、先進7カ国(G7)男女共同参画・女性活躍担当相会合が開かれた奥日光はかつて女人禁制で、女性はいろは坂を上ることを許されなかった。地元の郷土史研究家小島喜美男(こじまきみお)さん(74)は「女性がテーマの国際会議が奥日光で開催されたことは、妙であると同時にふさわしいと思った」と話す。8日の国際女性デーに合わせ、奥日光で懸命に生きた印象的な2人の女性を、小島さんに解説してもらった。

 中禅寺湖畔の二荒山神社大鳥居脇に奇妙な形の石がある。巫女(みこ)が禁を破って湖畔にたどり着くと、石になったと伝わる巫女石だ。修験の場だった奥日光は女人牛馬禁制とされ、禁が解かれる明治初期まで女性はいろは坂の途中にある「女人堂」までしか行けなかった。

初の女児誕生

 出血を伴う出産は厳禁とされたが、1884(明治17)年に奥日光で最初の女児が誕生する。名は伊藤芳(いとうよし)さん。父文吉(ぶんきち)さんから旅館「蔦屋(つたや)」を引き継ぐが、1914(大正3)年の大火によって消失。新築移転して再建を図る中、夫が行方不明となる。