ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での日本代表の劇的優勝から1年。“侍ジャパン”を率いた監督・栗山英樹(くりやま・ひでき)さん(62)は、実は小山市にある白鴎大の教授でもある。近年は監督業に追われ年1回程度の特別講義でしか教壇に立てていないが、多忙の合間を縫って優勝後初めて同大の学生たちとの対談が実現した。

聞き手は、下野新聞で連載企画「栃木いいね散歩」を手がけてきた「地域メディア実践ゼミ」(下村健一(しもむら・けんいち)教授)の有志6人。大学図書館に収蔵されている栗山教授コーナーの著書を全て読み込んで、緊張の面持ちで臨んだ。かたや“教え子”たちと向き合う栗山先生は、普段の取材対応より明らかにリラックス・ムード。
栗山「栗山といいます! よろしくお願いします」
学生一同「よろしくお願いします…(コチコチ)」
下村「みんな、バキバキに栗山先生に憧れちゃってると思うけど、今日だけは憧れるのやめましょう」
一同「はい!(笑)」
下村「さあ、行きましょう!」
前編は「社会デビュー前の栗山少年」。学生記者にとっては自分たちと同じ年代の姿は最大の関心事。あまり報じられていない当時の自身について、栗山さんが大いに語った。(前後編の前編)
◇ ◇
昔も今も?「わがまま次男坊」
-執筆された「栗山ノート」に、少年時代わがまま次男坊だったと書かれていました。今は、そんな一面があったとは想像できないんですが…。
「うーん…まぁ、今でもよく反省しますよ自分で。『これってさすがにわがままだよな』って。わがままを言い過ぎると、マネージャーが『監督、それ違いますよ』って顔をするんです。そういう人がいるのは大事ですね」
-(わがままを反省するようになった)転換点とかってあったのですか?
「子どもの時、わがままを直すために我慢することを覚えさせようと、おやじが野球をやらせたっていうのが一点。それから、一番自分の中で何かが変わっていったきっかけは、病気ですかね。プロに入ってメニエール病で苦しんで、普通にやれることがいかに幸せなことかと感じたときに、なんか自分の中で少しずつ溶けていったというか…。じゃあ、その『わがまま次男坊』が全部今消えてるのかっていうと、どうなんだろうなぁって本当は思います」
-今でも少し、残っておられると…。
「なんかその、わがままな感覚もちょっとは必要じゃないですか。わがままっていうのは、『自分を押し出したい』とか『自分でやりたい事をやる』っていうことでもあるので、そういう『生きる力』みたいなものは失わないようにした方がいいのかなって」
