夢を形に、プロへの道のり
-小学校時代の夢で、『プロゴルフ、プロ野球選手、学校の先生』を書いたと伺いました。その中の二つをかなえていらっしゃいますが、当時のご自分に伝えたいことはありますか。
「『一つ間違えたね、お前。プロゴルフじゃなかったなぁ』(笑)。違うこと書けばよかったなと思いますね」
-夢をかなえることができた理由は、何だと思いますか。
「うーん…まさかプロ野球選手に本当になれると思ってないし、夢ってそういうものかもしれないですね。めちゃくちゃ遠いんだけど、やってみると意外と近いというか。ただ、そこに書いた、『形にした』ということが大きかったかもしれないです」
-なるほど、ただ心の中で思ってるだけじゃなくて。
「ずっと人に言うわけじゃないですか、『子どもの時、これを書いたんです』って。そうすると頭の中にずーっとあるので、言葉は形なので、ずっとそこに向かってたっていうのが事実。そういうのが大きかったかもしれないですね」

-子ども時代の憧れの人は、原辰徳(はら・たつのり)さんだったそうで。
「ずっと憧れていました、中学校の時から。だから、原さんがいた東海大相模高はセレクションも受けましたし、本当に行きたかったです」
-でも、東海大相模高に進学はされなかった…。
「まぁ、大学までは厳しい親(の存在)も大きかったですね。文武両道だ、野球(だけ)で選ぶなっていうのがすごくありました。でも、それで思い切ってできなかったんで、だからこそ大学を卒業する時にまだ野球辞めたくないって思ってプロの入団テストを受けるわけで、結果的によかったなって思ってます」
-大学選びにも、親御さんの影響があったんですね。
「めちゃくちゃありましたよ! 僕、東京六大学に行く道があったんです。入学金も払ってましたし、野球やろうと思ってたんですけど、親が『お前、野球うまくならないんだから、教員になったら野球ずっとできるでしょ』みたいな説得して…」
-それで、東京学芸大に。
「けど、正直言って…まぁ俺も野球こんなもんかな、とは思いました。逃げたとは言わないですけど、『まぁ、プロの選手になれるわけではないし、それだったら、教員になって野球やろうかな』って。あと、高校のときメチャメチャ練習きつかったんで、それも何となく思ってたかもしれないです。意外とその時のことって、よく自分でもわからない所があって」
-決断力の栗山先生にも、そういう曖昧な場面もおありだったんですね。
「なんか、この部分は流れに流されてしまっているってこと、人生あるじゃないですか。まぁ社会に出てからは、なるべくそういうことのないようにって思ってますが」