“今”できなくても“明日”できればいい

 -そうして、東京学芸大に入られた。学業と野球の両立は、苦労されましたか?

 「あんまり大学の時は勉強してなかったですね(笑)。でも高校3年生の時は、席を一番前、教壇の真ん前にしてもらっていました。寝ちゃうし勉強する時間がないんで、授業中だけちゃんと覚えればあとで大丈夫だ、と思ってたんで」

 -すごい。で、大丈夫だったんですか。

 「それで勉強と両立できたかって言われても、んー、それはちょっと自信はないです。ただ、野球“だけ”やった感じではないです。試験の前はある程度勉強したし、まぁ一夜漬けですけど」

 -そんな中で、趣味とか息抜き方法はありましたか?

 「それは、全くないですね。そもそも気分転換しようとも思わないです。要するに『試合に勝つこと』でしか気分転換はできない。それくらい好きなものをやってるから、その方が楽なんですよね。他の何かで気分転換しようと思うのは、なんかちょっと違う。やりたいことを頑張って、それで、勉強でも苦しいけどテストで結果出たりとか、そういうのが一番うれしい。今もそうです。監督やってての気分転換とか、ないです」

 -とはいえ、大学時代にもけがされたりとか、試合に負けたりすることもありますよね。メンタルの保ち方は、どのようにされてたんですか。

 「うん…肘とか壊した時にそりゃ絶望感はありましたけど、それで野球ができなくなるわけじゃないし、何とかしてやろうといつも思ってましたね。できないのは今だけなので。よく選手たちが『それできないです』って言うんですけど、いやいや、“今”できなくても“明日”できればいいでしょ。できないことがあるから、人間頑張るので」

 

 -ご著書には、大学時代の教育実習とか、塾講師のアルバイトのことも書かれていますが、そこでの指導体験が、監督就任後に生かされたりもしているのですか?

 「んーどうなのかなぁ…。もしかしたら、無意識に自分の体の中に入っているものなのかもしれない。例えば、『子どもの目線に下がる』っていうのは無意識なんですよね。話をするのに、子どもたちを上から見るのはしんどいじゃないですか。この人の良さを引っ張り出したい、何とかうまくなってほしいみたいな感覚しか僕はないんですよ。それって、先生も一緒じゃないですか。教え込もうというのは全然なくて、この人の良さはどうやったら勝手に出てくるのかなということしか考えてなかったので」

 -実際、塾の子たちにはどんな風に接していたのですか?

 「まあ、僕は先生としてはダメだったんですよ。塾で数学のクラスを持ってて、生徒は中学生でそろそろ受験っていうときに、分数の通分ができない子がいて。そうすると、『分かる人たち、あとはこっちをやってて下さい』みたいにして、その子に時間を全部取っちゃうみたいな。今考えたら、(仕事としては)それってダメなんですけど。でも、『わかんないで苦しんでる子をなんとかする!』みたいな感じっていうのは、今監督やっててもずっとありますね。そこが気にならなくなったら、自分がダメになっちゃう。平等感を持って、みんなを引き上げる! 『この子頑張ってないから、しょうがないよね』って置いてってしまう感覚だけは持たないようにって、塾講師のときも思ってました。まあ、そういう意味での経験としては、大きかったですかね。だから、その人の資質ではなくて、その人を愛する資質の方がデカいんじゃないですか。その人のことを本当に思っていれば、なんとかしたいと人間普通に思うわけで」

 -でも、今まで出会ってきた人たちの中で、この人はどうしても愛せないという人はいませんでしたか?

 「愛せないというか、難しいというのはありますね。でもそういう選手ほど、気になってしょうがないっす。“その人”(の問題)ではなくて、“自分”が勝手に嫌いだと思ってるだけですよね。例えば向こうが感情的な態度をとってることをこっちが気に入らないというのは、実は自分が気に入らないだけ。だから、なんか(関係が)うまくいってねーなということはあるけど、それでダメってことは無いですね」

 -栗山先生に塾で教わった中学生たちは、幸せですね…。

 「でも、僕に数学を教わってもダメですよね。今考えたら」

 -(一同笑)

 「でもね~、数学好きだったの。答えが出るから」

 

 (白鴎大地域メディア実践ゼミ 岡結菜(おか・ゆいな)、小高明日奏(こだか・あすか)、小林菜々子(こばやし・ななこ)、橋本慎之介(はしもと・しんのすけ)、森谷佳保(もりや・かほ)、泉浦光(いずみうら・ひかる))

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